1. 僕と 博士



どこまでも無味な褐色の大地。
一台のトラックが道無き道を、ぼわぼわと砂塵を巻き上げながら走っている。
黒く塗られた厚い装甲と荷台を覆い隠す幌。とても一般車両には見えないそのトラックの運転席には、そのトラック
にはとても不釣り合いな一人の少女が座っていた。
時折、大きな岩を避けたり進路を大きく曲げたりしながら、少女の運転でトラックは走り続ける。

『定期報告。デコイ1号、偽装小休止300秒終了、エンジン再稼動。2号、燃料残り10パーセント。・・・指示を。博
士。』

博士と呼ばれたその少女は、荷台にいる誰かの言葉に、振り向かず淡々と答える。

「軌道変更して3号と軌道を交差、敵の合流を誘導。合流地点で燃料の残量が少ない2号のみを起爆。3号はこち
らと合流し、燃料回収の後、破棄。」
『了解。』

一時間後、とっくに日は沈んだはずの西の荒野が一瞬だけ煌々と照らされ、僕は少し弱まった電磁波を感知した。

『閃光弾、起爆完了。』

僕は少しだけ頭を上げ、運転席に座る博士が小さく頷いたのを確認した後、また伏せた。
首尾は上々、細工は粒々だ。

その後、予定通りに残りのトラックも起爆し、このトラックを追ってきていた敵も、道中で投下した囮に引っ掛けて足
止めする事が出来た。

疲れたのか、小さく溜息をついてから、博士は助手席に置かれた荷物の中から赤く瑞々しい果実を取り出した。

「・・・このトラック、リンゴ以外も積んでたらよかったのに。」
そう言いながらも、ゆったりと深くシートに体を預け、さくさくと小気味のよい音をさせながら、博士はリンゴをかじっ
ている。
僕のいる荷台に漂っていた瑞々しいリンゴの成分が、一層濃くなった。

『一昨日は、果糖も水分も摂取出来て、ある程度なら保存もきくからと、喜んでいたのでは。』
「・・・飽きた。」
荷台に乗っている僕の周りには、木箱に詰め込まれたリンゴがうず高く積まれている。
確かにある程度保存はきくが、真空密封された食品に比べれば鮮度の落ち方は顕著だから、優先順位から考え
れば自然と、リンゴを食べ続けることになる。

『贅沢は敵です。』
「・・・いつかあなたに、嫌という程リンゴを食べさせてあげたいものね。」
『 わざわざ食用可能な食物をエネルギー変換するような装置を僕に搭載するのは非効率的では。』
「冗談よ。今はそんな暇もないし。」

そうは言うものの、博士は気まぐれにいきなり何を始めるか、僕にも解ったものではない。
いつか突拍子もない事を始めるのではないかという不安は常に思考の片隅に置いているのに、博士の突飛な行
動を予測できた試しが無い。
軍の輸送トラックを数台強奪し、僕らのトラック以外には博士と僕に形だけ似せた熱源付きのデコイを乗せ、
敵を特殊電磁パルス付きの閃光弾で攪乱させ、砂漠を抜けてゆく。
この作戦も博士がいきなり思いついて実行に移したが、この分なら確実に目的地まで到着出来るだろう。
非殺傷兵器ではあるが、閃光弾がうまく炸裂すれば光学センサーは馬鹿になるし、特殊電磁パルスをモロに浴び
れば行動不能になる。
機械限定ではあるが、トラックだって機械制御だし、人機混成部隊なら尚更効果覿面だ。

僕としても追っ手の数は減らしたかったし、少しでも距離を開けさせたい。
そうでなければ、博士に十分な休息をとってもらう事が出来ないのだから。

「わざわざあんな凝ったデコイ乗せなくても、なんとかなったかもね。きっともう連中にまともな兵も、センサーも残っ
ちゃいないわ。」
『しかし、念には念を入れるべきでは?』

「心配性。」

博士はそう言って、大きく欠伸をした。
先程から動作も鈍い。相当眠いのだろう。
それに、日没後の道無き道を博士の目で運転し続けるのもそろそろ限界だ。
既に何度か小さな岩に乗り上げて、リンゴの木箱が僕の上に幾つも崩れ落ちてきている。

『博士、デコイへの指令は全て送信完了。デコイ側の送受信履歴の消去を確認。通信を完全に遮断しました。
・・・目的地まで運転を交代します。博士は今のうちに睡眠をとってください。』
「じゃあ、お願い。・・・やっぱり・・・眠くて・・・。」
『了解。システムの制御開始。・・・お休みなさい、博士。』
「お休み、ロイ。」

運転席のシートにもたれ、助手席に置いてあった毛布を被って目を閉じた。

ろくな睡眠時間をとっていないのは知っていたから作戦中の運転は全て僕がすると言ったのに、博士はそれを拒ん
だ。
どういう意図があったのかは解らないが、それが僕の負担を減らそうと考慮した結果だったとしても、僕を信頼して
いないという理由からだったとしても、複雑な心境だ。

無意味な思案をしていると、毛布の中からくぐもった声が聞こえた。

「・・・運転、私がやりたかっただけなんだからね。」
『・・・了解。』

どうやら前者だったらしい事に少しだけ安堵し、気を使わせてしまった事を反省した。
博士の安眠の為にも、安全かつ迅速な運転を心掛けよう。

博士の手はハンドルから手は離されているし、アクセルやブレーキからも足が離されている。
だが、ハンドルはきちんと障害物を避けるために切られるし、エンジンが止まる事も無い。荷台から僕が遠隔操作
しているのだから。
警戒をしつつ周囲の地形を把握し、近距離にあるコンピュータ制御のトラックを操作する事くらい、デコイという負荷
を外した僕には造作もない。


早朝になってようやく、目的地である森林地帯に着いた。先程までの荒野とはうってかわって、幾つもの水源を擁
する森林が広がっている。
積み荷を持てるだけ持って、トラックは木々の中に隠す。
ここからはまた、徒歩の旅路だ。

装甲の色を白から深緑色の斑に変え、博士と荷物を背中に乗せて歩く。
森の中は木々が生い茂り、所々に小規模な崖や岩場が点在していたが、道が険しければ険しいほど、僕らには有
り難い。
車が入ってこれないうえに、こういった道でこそ、僕の脚の本領が発揮出来るのだから。

暫く進んだところで泉を見つけ、休息することにした。
周囲の安全を確認し、装甲の色を白に戻す。
装甲の色を白に戻すのはこの場合デメリットしかないが、何故か元の色じゃないと落ち着かない。
僕の無意味で妙な癖は、日々増えつつある。

『水場周辺の安全を確認。水質に問題無し。毒物の投棄などによる汚染もありません。飲用の水は既に煮沸し、
確保しました。』
「うん、ありがとう。・・・少なくとも、丸一日は自由に使えそうね。水場もあるし・・・まずは洗濯。終わったら、次はロイ
を洗浄してあげる。」
『そんな事よりも休息を優先しては・・・』
「駄目。 砂漠で脚の関節に砂が詰まっちゃってるでしょ? ちゃんと洗浄しないと。」
『自己洗浄可能な範囲です。』
「そんなこと言って、いつも自己メンテすらいい加減なくせに。いい機会だし、今日は徹底的にバラして洗うから。」
『・・・了解。』

博士はすっかり昔の白さが失われた白衣を、まるで親の敵であるかのように荒っぽく洗い始めた。
しかし実際の所、あの白衣は父の形見なのだと博士から聞いた事がある。
数多くの兵器やロボットを作り出し、そして戦場へと送った博士の父は、英雄で、死神なのだとも。

「この白衣、びっりびりの襤褸切れになるまで着古してやるんだから。」

既に白衣の袖は大きく破れ、そこかしこに穴が開いているし、以前は長かったはずの裾も擦り切れ、縫い目も解れ
てきている。
それでもまだ、その白衣を着続けている。
白衣を洗うとき、決まって複雑そうな顔をしているが、それは、博士が父を恨んでいるからなのか、それとも別の何
かがあるのか。
何度その表情を見ても、僕には分からない。

他の衣類も洗い終え、博士は僕に向き直った。

『さて、次はロイの番。』

博士が順々に、僕の脚の関節を分解し、洗浄していく。
かなりの力仕事だが、その動きに無駄は無く、黙々と作業を進める博士の額には玉の汗が浮かんでいた。

『残りの脚は自分で洗浄します。』
「黙って。」
『しかし・・・』
「わたしが、やりたいの。」
博士に手間をかけさせる僕の脚の多さに僕自身が辟易したが、そもそも僕を設計したのも造ったのも博士なのだ
から、口には出せない。
結局、洗浄が終わったのは夜になってからだった。

『博士、もう休息を・・・』
「まだ。私が体を洗ってない。」
『水温が低いですから、浸かれば体温を奪われます。タオルで拭うだけにしておくべきだと判断します。』
「浸からないとさっぱりしないの。」

すっかりオイルが染み着いてしまったタンクトップとショートパンツを脱ぎ、泉にゆっくりと浸かってゆく。

冷たさに身震いした後、こっちを見て、はにかんだように笑う。
「・・・やっぱり、ちょっと冷たい。」
いわんこっちゃないとばかりに、僕は頭を垂れた。
「でも、ちょっと慣れてきた。」
『早くあがらないと、体調を崩します。』
「分かってる。」

博士は、この生活を始めるようになってから、随分と健康的になった。
青白かった肌は随分と健康的な色になったし、少しだけなら筋肉も付いた。
痩せっぽちなのは相変わらずだが、以前よりマシだ。
後は栄養状態の悪ささえ改善出来ればいいのだが、この生活ではそれは難しい。

博士の裸身が、薄い月明かりに照らされて、伸ばしっぱなしの長い髪に滴る水滴が、幽かな光を反射して煌めい
ている。
人間の視力では、それらは殆ど暗闇に紛れて見えないが、僕の眼なら全部はっきり見えた。
眩しいくらいに。









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