1. 障害発生のお知らせ



暗く狭い通路の中を、男は歩いていた。
何本ものケーブルが周囲に張り巡らされているその狭い空間を、ケーブルの束に身体が接触しないように時折身
を屈めながら、時折這いずりながら、男は進む。

妙だ、と、男は思った。

先程から幾つもセキュリティ用の監視カメラやセンサーらしきものを見かけたし、巧みに隠されていた侵入者用トラ
ップのセンサーには何度か発見されてしまっている筈なのに、何も起こらない。
故障している訳でもない。システムが死んでいる訳でもない。
まるで、誘い入れようとしているようだ。

だが、待ち伏せの可能性は最初から想定している。
腰に下げたホルスターの存在と銃の残弾数を再確認し、男は更に奥へと歩を進める。

やがて細く長かった通路の突き当たり。小さくも分厚い金属製の扉へと辿り着いた。
本来ならば厳重な施錠がなされているであろうその扉は、ノブを捻っただけで呆気なく開いた。
薄暗い空間。
それほど狭くも無い部屋であるにも関わらず、様々な機械やケーブルが雑多に詰め込まれ、圧迫感を生み出して
いる。

ここへ至る理由となった存在は、仄暗い明かりに照らされて居た。
こちらに気付いている事は明白だというのに、こちらをちらりとも振り返らないまま、モニタに向かい、キーボードで
ひたすら何かを入力し続けている。
そして振り返らないまま、こちらに声をかけてきた。

「なんだ。随分時間がかかったじゃないか。」

以前にこの声紋パターンを聞いたのは、数千時間以上も前の事だった。

「・・・特殊任務実行機体予備機3号、か。」
「オレをその名で呼ぶな。・・・オレはもう、そんなものでいることはやめたんだ。」
「理解不能だ。相違は無い。貴様は特殊任務実行機体の予備機体、3号だ。」
「違う!」
「貴様がどう否定しようが、俺の預かり知った事ではない。」
「・・・お堅い野郎だ。」
「貴様の思考回路が異常を来しているだけだ。」
「さあ・・・そりゃあ、どうだろうな。」
「・・・不必要な対話はここまでだ。俺がここへ来た理由は、理解しているのだろう。」

「こいつの引き渡し。それと、オレを破壊するか、連行するか、ってとこだろう。」

それまで絶え間無く続いていたタイプ音が止み、コンピュータの前で作業をしていたその男が、椅子を回転させ、こ
ちらを向いた。
その男の膝の上には、横抱きにされるような姿勢で、少女が腰掛けていた。
薄汚れた衣類。細い身体。胸元にペンダントらしきものを下げている。
こちらを見て、表情と視線で、椅子に座している男に不安と恐怖を訴えた。

「・・・ん、大丈夫だ。オレの・・・なんていうかな、兄弟みたいなもんだ。怖くない。」

そう言って、男は少女の頬をそっと撫でた。
少女は、まだ少し不安そうな表情をしながらも、頬を撫でる男の手に頬を擦り寄せて、少しだけ安心したように力を
抜き、男の胸にもたれた。

しかし、その男の胸には、いや、全身には、本体ならば我々の機体に標準的に存在し、我々の存在意義の根底を
成している筈のものが無かった。

「・・・一つ、質問がある。」
「なんだ?」
「何故、貴様の機体から、偽装皮膚組織が損なわれている。」
「・・・ちょっと考えれば分かるだろう。お前もヤキが回ったか。」

少々呆れたような声で、男は答えた。
確かに、少々思考すれば自ずと一つの回答へと辿り着く。
だが、何故か、推測ではなく、直接聴取しておくべき事柄だと判断していた。

「水なら一応通ってるんだ。だが、この状況下で人間を生存させ続けるには、これしか無いだろう。」

すまなかったな、と言って少女の頭を撫でた男に、少女は否定の意味を込めて首を横に振り、金属製の骨格だけ
の身体を抱きしめた。
サーモセンサーで男の体を確認すると、活動用のエネルギーさえも節制しているらしく、擬似的な体温を発生させ
る事すらも停止していた。
本来ならばナノマシンにより自動で再構成される筈の偽装皮膚組織が再構成されていない事から推測すると、ア
ミノ酸をベースに構成されている再構成用ナノマシンデバイスすらも、偽装皮膚組織同様、それに充てたのだろう。


己の体温より低く、むしろ冷たくすらあるであろう男の身体を、少女は細い腕で、強く、強く、抱きしめている。









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