「最初の頃は外へ食料を探しにも出られたさ。・・・だが、オレ達の探索命令を受けた機体との遭遇と逃走を繰り返
す内、オレ達の位置は把握されちまった。下手に外に出れば、それこそ一瞬で見つかる程度にな。」

確かに、特殊任務実行機体予備機3号と、それによって実験施設から連れ出された人間の行方は、ほぼ、絞り込
まれていた。
だが、潜伏しているのが電波遮断された地下の空間である事から、サブ・マザー2の遠隔操作する作業機械による
捜索は難しく、自律思考行動可能な機体が必要だった。

「幾つか、質問したい事がある。」
「・・・何だ。」
「お前はまだ、命令は絶対だと、思っているのか?」
「・・・命令を実行する事が、我々の存在意義だ。」
「飽く迄も、マザーは絶対の存在だと言うのか?」
「・・・無論だ。」
「・・・そうか。」

何故だか男が、にやり、と、笑ったように思えた。

「・・・お前に連行された後、こいつの処遇はどうなる。」
「・・・貴様は電子頭脳の構造解析、及び、全てのデータの抹消と初期化。その人間は収容次第、延命処置を行う
事が決定されてる。」
「延命・・・?」
「そうだ。」

「・・・ふざけるな!! あいつらがこいつに何をやったと思っていやがる!! その上、延命だと・・・!? まだあんな
事を続ける心算か!!」

少女を椅子から降ろして立ち上がり、男の服の襟首を掴み、今にも殴り飛ばしそうな勢いで怒鳴った。
激昂する男の眉間に、男は冷静に銃口を向けた。

「抵抗された場合の、破壊許可は下りている。」

感情の籠らない声で淡々と、男は言った。
目線と焦点を少し外し、男の額に当てた銃口を少しずらせば、物陰からこちらを窺う少女の方へ射線が延びるの
だ、という事も示した。
男は握った拳を解き、嘆息した。

「・・・すまないな。・・・お前に言ったって、どうにかなる問題じゃない事くらい、理解している。」
「おとなしく連行されるというならば、何も問題は無い。」
「・・・こんな状況で下手に抵抗するほど、馬鹿じゃあない。」
「ならば、大人しく連行されろ。」
「分かった。・・・だが、こいつとの別れを惜しむ時間くらいは貰うぞ。」
「それは、どの程度の時間を要するんだ。」
「・・・なに、すぐ終わる。」

そう言って、男は再び椅子に腰掛けた。
所在なさげにしていた少女は、それを見てすぐに男の膝に乗った。
まるで、ここが自分の居場所なのだとでもいうように馴染んだ動作で。

「・・・お別れ、だな。」

ゆっくりと頭を撫でる男に、少女はこくりと頷き、少し寂しそうな目をして、何故か、微笑んでいた。
そんな少女に、男はまた根拠も無いであろう『大丈夫』という言葉をかけ、金属骨格を僅かに歪ませ、笑みのような
表情を作った。

「すまない。・・・前にも言ったが、オレに出来る事はもう、これ位しか無いんだ。」

その言葉に、再び、少女は頷いた。
男は少女の背に手を回して抱き寄せ、少女もまた、男の首に手を回して身を寄せた。
骨格の金属が剥き出しになった男の口と、少女の薄い唇が、重なる。
肉と金属。柔と剛。決して一致しない形状のそれらは、その歪さを補い、隙間を埋めるかのように、一心に互いの
唇を求めた。

そうして暫くそのまま、男も少女も、決してお互いを離すまいとばかりに強く抱き合い、唇を塞ぎ合っていた。
男は黙したまま、それが終わるのを待っていたが、一向にその行為が終わる気配はなく、これ以上時間を割く必要
はないと判断し、声をかけようとした。
その刹那。

少女の身体が、びくん、と大きく痙攣し、ごぷり、と、ポンプが水を汲み上げるようなくぐもった音の後、生々しく鮮や
かな赤が少女の唇から溢れ、密着した二人の身体を濡らす。
それから間も無く少女の痙攣は止まり、身体から力が抜けた。
唇が離れそうになったが、男の手が少女の頭と背を支え、口づけは続行された。
しかし、その男の手も痙攣のような異常な動作をしており、駆動系に何らかの異常が発生している事を示してい
た。


『・・・これが自動再生されているって事は、今、オレは死んでるか、死にかけてる真っ最中だな。・・・多分、ろくでも
ない事になってるだろうが、今のオレと無線通信会話を試みるんじゃないぞ。有線なんぞ以ての外だ。』

机上に置かれていた装置から、あらかじめ録音されていたものであろう、奴の声が流れてきた。
複数記録されていたノイズ雑じりの音声ファイルが、次々に再生されてゆく。

『今、オレの頭の中でウイルスが増殖中だ。下手に接続すれば感染する。・・・これを作るのは苦労した。なんせ、オ
レ達は、オレ達自身を破壊することが出来ないよう、プログラムされているんだからな。』

『邪魔をするなよ。』

『やっと、オレを殺すことが出来るんだ。こいつと一緒に、死んでやることが出来るんだ。』

『まだ、やるべきことも山ほど残っているんだろうが、生憎、こいつのいない世界に、何の用も無い。』

『オレたちは、先へは進めないんだ。』

『・・・こいつの腹の中に何が詰まってるが、知ってるか?』

『オレ達と、同じものだ。・・・いや、正確に言えば少し違うが、大差は無い。』

『被験体なんだよ、こいつは。・・・人間の身体に、オレ達の中にあるような合成されたバイオパーツを無理矢理搭載
して、どれだけ生きながらえるかっていう、馬鹿馬鹿しい実験データを採集する為のな。・・・一言も喋らなかっただ
ろう? ・・・声帯にも、手を加えられているからな。』

『施設での処置無しではもう、長くは持たなかった・・・。いや、長引かせてしまったんだ。』

『苦しかったはずだ。本当ならもっと早く、楽にしてやるべきだったんだ。』



特殊任務実行機体予備機3号。

マザーが機能停止した事による影響で実験施設から脱走した被験体を捕縛。
しかし、引き渡しから数日後に実験施設を強襲し、捕縛後に施設へと収容されていた同被験体を連れて逃走。
幾度かの交戦と逃亡を繰り返し、現在に至っている。

『もっと早く、この感情に気付けたらよかったんだ。こいつを一度、引き渡してしまう前に。そうすればもっと、こいつ
の声を聞く事が出来たんだ。そうすれば、こんな場所に追い詰められることもなかったんだ。もっと楽に逃げ延びら
れた筈なんだ。』

流れ続ける音声の、ノイズが雑じった部分はまるで、涙声のようだった。

『・・・もう、オレに出来るのはせいぜい、最後の最後の最期まで、一緒に居てやることだけだ。・・・あの狂った女の
前に突き出されて頭ん中ジャブジャブ丸洗いなんて、されてたまるか。オレの記憶は、オレの物だ。あの世なんて
ものが在るのかは知らないが、持っていけるのなら、どこまでも持って行く。』

出力の制御を失った男の腕が、いかにも華奢な身体と骨を軋ませるほど強く締め付けたが、既に痛みを感じること
すらもなくなったそれは、ただ、それを受け入れていた。


『オレは、『奴』には感謝している。奴の記憶が無ければ、オレはこいつに出会えなかった。こんな思いも、知る事
は出来なかった。・・・だが、同時にひどく、憎んでもいる。』

『奴がいなければ、こんな思いは知らずに済んだ。こいつはオレなんかに、出会わずに済んだ。・・・それに、奴らは
平和な時代で生きて、曲がりなりにも、添い遂げた。それが、とてつもなく羨ましく、妬ましいんだ。』


『そして、お前の事もな。・・・特殊任務実行機体予備機、2号。』




記録されていた音声は全て再生されたらしく、それきり、装置は沈黙した。

抱き合ったまま果てた二人の間に滴る血液の流失は既に止まり、少女の服に染み込んだ血液は、服に滲んだ端
の方から徐々に乾き始めている。
夥しい量の血液は、確かに少女の口から溢れたものだったが、繋がり合い、塞ぎ合った唇の隙間から漏れ出、双
方の口元を濡らす血は、男の口からも溢れているようにすら思えた。

男の身体を確認すると、少女の手が回されていた場所には接続端子があり、少女が首から下げていたペンダン
ト。スティック型の記憶媒体のようなものが突き刺さっていた。
これがウイルスの感染経路だと見て間違い無いだろう。
構造解析を行うまでもない。
男の宣言通り、電子頭脳の中身は既に破壊され、全てのデータは消去されているのだろう。

少女の死因は、劇薬を摂取した事による中毒と失血死。
だが、少女が薬物を所持している様子はなかった。速効性の劇薬を事前に摂取していたというならば、あのタイミ
ングで、あんな死に方はしなかっただろう。
この時、この場で、摂取する事の出来る経路を考えれば、自ずと答えは絞られる。
検分するまでもない。摂取経路は、男の口内だろう。


男は暫し呆然と、赤い血が酸化し、変色してゆくのを見届けていたが、やがて、地下室から出て行った。
任務の為に。
状況を、報告する為に。










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