この体である事が、とても悔やまれる。

博士が造ってくれたこの機体が嫌だという訳ではない。
だが、多種多様且つ高度で鋭敏なセンサーをいくら積んでいても、博士の体のぬくもりは、数値にしかならない。数
値でしか感知出来ない。
装甲を撫でてくれる感触も、匂いも、僕が感じられる全ては成分の分析結果や数値でしかない。
生体的な感覚器官ならば感じ取る事が出来るであろう博士の暖かさは、数値だけを記録させて、僕の体の表面か
ら簡単に揮発し、消えてゆく。

小型のマニピュレータを上気した頬に添え、次いで、切なげな吐息の漏れる唇に触れた。
若干、体温も呼気も通常より温度が高い。
この体温が、温かい、もしくは、熱い、というものなのだろうけれど、僕には体調不良時の発熱と同じように、1〜
2℃程度の差異が発生しているとしか認識出来ない。
どんなに理解したいと願っても、生物じゃない僕は温度を理解出来ても、ぬくもりと呼ばれているものを理解する事
が出来ない。
だから、自分がとても冷たい存在のように思えて、それがこの上なく、惜しく、歯がゆい。

博士が快楽に喘ぐ声を抑えようとしているのか、僕のマニピュレータの装甲を噛む。
歯が痛んでしまうかもしれないから噛むなら軟質なカバーで覆われているケーブルを噛んでくれればいいのに、何
故か博士はいつも装甲を噛みたがる。
小数点以下。1にも満たないゼロコンマの数値が、機体へのダメージとして計上された。
快楽は苦痛を薄めたようなものなのだと、人間は言うらしい。
だったらきっと、これが僕にとっての快楽なのだろう。

博士は、熱に浮かされたような表情で何かを求めるよう上体を起こし、僕が虫だとしたらきっと顎に該当するであろ
う部位に口づけた。
でも、僕にあるのは顎じゃない。例え形状が似ていたとしても、顎を開いた先にあるのは口腔でも食道でもなく、他
の一般的な兵器とは比べようもない程の圧倒的な破壊力を持った、僕の、主砲だ。

僕は顎を博士の口に軽く付け返した後、開いた。
肉食の虫のような異形の顎が、博士の首筋を軽く食む。
傍目から見れば、白く巨大な異形の虫が、哀れにも犠牲となった少女を補食しているように見えるのだろうか。

細い喉のすぐ先に、主砲の虚ろな闇がある。
考えたくもないが、もしも今、この距離でこれが放たれたなら、博士なんてきっと、塵も残さず消し飛んでしまうだろ
う。
本当に、考えたくもない。

そっと顎を首筋から離す。
薄く、赤い跡が浮かんでいるのを視認し、感知できない領域にあるどこかが、満たされたような感覚を覚える。
僕の機体の内にありながらも、理解不能な感覚だ。
博士を傷つけかねない行為ではあるが、これは最早慣習になっていて、どこか必然めいた行為にもなっていた。
開いたままの顎に博士が再び口付けた。
僕も、博士の唇を顎でそっと挟む。
これが、深い口付けのように思えるのは、暴走した思考が作り出した幻想だろうか。

見張り用に残しているセンサーを除いて、僕の全てが、博士だけを捉えている。
僕の全てが博士で埋まってゆくような感覚。
この感覚を最初に感じたのは、いつだっただろうか。
その記録はあまりにも鮮烈で、強烈で、あまりにも大切にし過ぎて、焼き切れたような断片しか思い起こせない。
映像データをサルベージすれば容易く引き出せるが、実行したことは無い。
僕の醜態の記録で、博士を少なからず傷付けた記録だ。
それなのに、それにも関わらず、それはとても大切な記憶だ。
思い出すのも勿体無い程、大切だ。

それに、今は眼の前の博士を捉え続けたい。

「・・・っあ、んっ・・・っ!」
博士の表情が切羽詰まったものになり、甘い声を抑えきれなくなってきたようだ。
目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

『声を、抑えなくてはならないのでは? アリス。』
「わかって、る・・・っ、ロ、イ、ぃ・・・。んぁっ、ひぁうぅ・・・っっ!!」

博士は僕の装甲を抱き寄せ、歯を立て、体を痙攣させつつも必死に声を抑えている。

我ながら、意地悪な物言いだったと思う。
追われている以上、例え敵の存在が感知できる範囲に無く、安全が確認されていようとも、あまり大きな声を出す
べきではないからだ。・・・と、いつか博士が言っていたからこその発言だが、むしろその行動は羞恥心からくるもの
だと、僕は判断している。
普段とは違う博士の声をもっと聞きたいが、声を抑える姿も見ていたいので、敢えて何も言わない。
いつか、この逃亡者生活に終止符を打ち、安息に暮らす事が出来るのなら、その時こそは、その事に言及してみよ
う。
どんな反応をするのかが、とても楽しみだ。

やがて博士の体は弛緩し、滴った体液等を洗い流した後、穏やかな余韻と疲労の中、眠りに落ちていった。
荷物の中から毛布を引っ張り出して博士に被せ、僕自身も博士の上へ天蓋のように覆い被さる。
眠る必要のない僕は周囲を警戒しつつ、博士の寝息を聞きながら、銃器の手入れをしたりして夜を明かす。

未だ暗い早朝、どこからか飛んできた昆虫が足にとまった。
黒くつやつやと金属めいた外骨格の生き物は、暢気にも触角の掃除を始めている。
僕に類似したその姿に若干の親しみを覚えたが、生き物じゃない僕よりも、生き物であるこいつのほうが博士に近
い存在なのだと考えると、寂寥と、嫉妬とでも表現すべきであろう感覚が、僅かにだが込み上げた。

昆虫はそんな僕の思考など意にも介さず、びいんと羽音を響かせて、またどこかへ飛んでいった。
その昆虫を追って見上げた東の空は、日の出の時刻が近付いているらしく、白みはじめている。

遙か上空を、光る点がゆっくりと移動してゆく。
メインアイセンサーと、触角に似たセンサーをその点に向けた。

「・・・人工衛星ね。」

目を覚ました博士が僕の下から、眠い目を擦りながら空を見上げている。

『軌道は航行予測から外れていますが、軍事衛星ウィリアム2号機と推測されます。』
「軌道が・・・? 機能停止した影響かしら・・・。一応、軌道を確認して、航行予測のシミュレートデータを変更してお
いて。」
『了解。』

再び、人工衛星を見上げた。

明るくなり始めた東の空から未だ仄暗い西の空へと、流れ星にも似た、しかしゆっくりとした光が流れてゆく。
もしもあれが本物の流れ星なら、人は願いを託すのだろうか。
人に造られた人じゃない僕なら、人の造った星じゃない星に、願いを託したっていいのではないだろうか。

僕は緩慢な、偽りの流星に願った。
願わくば、いつか博士に安息の地を。安寧の日々を。

そしてその為にも、今日もまた、博士を守りきれますように。










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