そもそも、なぜ自分はこんな密林の中にいるのか。
少しだけ頭が冷えたのか、若干の思考を取り戻した。

「・・・あ、あああああ!?」

思い出した。飛行機。確か自分は飛行機に乗っていたのではなかったか。
墜落・・・!? 飛行機はどこに? 父と母は、生きているのだろうか?

さっきの肉塊は、 まさか

がざざっ がざっ

草を踏み分ける音。何か来る。後ろではなく、前から何かが来る。
もしかして、捜索隊が、助けが来たのだろうか。
・・・そんな都合の良い期待は、簡単に裏切られた。

ぐる る る る る ろ ろ ろ

動物番組でしか聞いたことのない、大型猫科動物の唸り。
暗すぎて、どの方向にいるのか分からない。
後ろには大蜥蜴、前には猛獣。混乱と恐怖でどうして良いのか分からずに、ただただ狼狽え、震えた。

がさ さ さ 

もう、どちらから逃げてきたのかも、どちらに逃げていいのかも分からない。

がざ ざ ざざざざざ

ようやく猛獣の姿が目に映った時にはもう、その牙が、爪が、避けられない距離まで迫っていた。
しかし、とっさに後ずさり、尻餅をついてしまう。

後方の樹上から、木の葉のすれる音がどんどん近づいてくる。何だろう。
いやもうそんなことはどうでもいい。どうせ食われて死ぬのだ。
見知らぬ土地で。誰にも看取られず。苦痛にもがきながら。真っ当な骸すらも残さず。


獣は、跳躍の為に姿勢を構える。狙いは勿論、喉。
押さえ込んでそこを一噛みすれば、ぷつりと神経が切れて獲物は動かなくなる。肉と血の塊になる。
あれの喉は噛みやすそうだ。厚くて堅い皮膚もない、毛皮に覆われてもいない。薄く破れやすい、カエルの腹みた
いだ。
きっと肉も腑も柔らかいに違いない。
その上、獲物はこちらに気づいても逃げようともしない。楽なものだ。
瞳孔を全開にし、体をバネにして跳躍する。

次の瞬間、がくん、と失速し、獣の背骨に激痛が走った。

猛獣が茂みの中から跳躍してきた瞬間、樹上から何かが落ちてきて、猛獣の背中を踏みつけ、爪を立てた。
緑の鱗。
あいつだ。あの、大蜥蜴。木の上から追ってきていたのだろう。
でも何故?いや、肉食獣同士の、獲物を巡っての争いと考えれば自然だろう。

蜥蜴と獣は、もつれあいながら転がるように争っている。
この戦いの賞品であり、祝宴の御馳走である自分は、この隙に逃げ出さなければならないのだろうが、その戦い
が余りにも凄まじかった為に、足はすくみ、目は釘付けになっていた。
凄まじい唸り声。地面を抉る爪。強靱な皮膚を食い破る牙。
この戦いが終われば、どちらかの、その全部が自分に襲いかかってくるというのに、生きる事を一度諦めた今は、
どこか他人事のように思えてしまっている。
ただ、右足だけが、脈打つように疼いていた。

長かったのだろうか。それとも数瞬の出来事だったのだろうか。
止めの一撃。蜥蜴の爪が、獣の眼窩を深く穿ち、抉る。
獣は、断末魔をあげ、倒れ伏した。数度激しく痙攣した後、完全に動かなくなる。

獣の息の根が止まったことを確認し、蜥蜴は立ち上がる。
赤く染まったその腹にはいくつかの浅い裂傷。所々腕や脚の鱗が削れてはいるが、傷らしい傷はそれだけ。
体を染める紅は、獣の返り血が殆どらしい。

次は、私か。
一歩、また一歩と、長い尻尾を揺らしながら、蜥蜴が歩み寄ってくる。
混乱していた頭も今はすっかり覚めてしまっている。
生きることは諦めた。食い殺される覚悟も出来た。
食い殺すならさっさとすればいいのに、なぜこんなにも緩慢に近寄ってくるのか。

「・・・食べるなら、さっさとしなさいよ。」

大蜥蜴は、小首を傾げて暫く考えた後
「たベ、ル?・・・コイつ?」
屠った猛獣の脚を持ち上げ、問いかけ、また小首を傾げる。
「・・・は?」
いやいやいやいや、ちょっと待て違うだろう。
「私を食べるんじゃ、ないの?」
「オ前、ヲ、食ウ? なン デ?」
「いや、何でって・・・。」
質問を質問で返されると、とても困る。
「じゃあ、さっき食べてたのは・・・?」
「鹿。アレ、ウまイ。オレ 人、食わ なイ。」
猛獣の足をどさりとぞんざいに放り投げると、少女の足元にしゃがみ込んだ。

きゅる、と鳴き、小首を傾げる。
「そレ より、オ前、足 痛イ、無イ?」
「え・・・、足・・・?」
そういえば、相変わらず痛む足に括りつけられているのはただの木切れではなく、よく見れば添え木のようだ。
「もしかして、これ、あなたが?・・・手当してくれたの?」
頷き、肯定する蜥蜴。
「私を、助けて・・・くれたの?」

その質問に答える前に、蜥蜴は上を向き、すんすんと空気のにおいを嗅ぎはじめる。
「・・・血、にオイ、寄って キた。夜、森 危なイ。」
突然、蜥蜴は少女を抱えあげ、木をするすると上り始めた。
「やっ!?きゃああああああ!!」

木から木へ。暗くてよく分からないが、かなりの速度で飛び移ってゆく。
その凄まじい浮遊感に、少女は再び意識を手放した。










戻る