雨はまだ、降り続いていた。

図書館のエントランスのほうは、光を採り入れる為の大きな窓ガラスが砕けて外部からの湿気が長期に亘って直
に流れ込んでいたようで、本はぶよぶよに変形してカビで変色していたし、空気中にも、カビの胞子が多く漂ってい
た。
僕らの居る場所は図書館の奥まったところで、エントランスから扉一枚隔てたところだ。
博士にカビの胞子だらけの空気を吸わせる訳にはいかない。

僕はふと気まぐれに本棚から一冊、本を取り出した。
隙間に隠れていた紙魚がしゅるしゅると、その名の通り魚のように逃げていく。
手に取った本をくるくると、角度を変えて見定めたが、食害は微々たるものだった。読むのに支障は無い。

紙媒体からの情報収集程度なら大した負荷にもならないので、警戒と同時進行で情報を収集する事が出来る。
それになにより、成長を続ける僕の電子頭脳が、より多くの情報を求めていた。

マニピュレータでページをめくり、少しだけ読み進める。
分厚くて質の良い紙。大きめのフォント。カラフルな挿絵。
どうやらこれは児童書らしい。
マニュピレータの指を本の端にかけ、ざらざらとページを流す。
瞬時に読み終わり、内容を反芻する。
本の内容は、人形が人間になるために幾多もの困難を乗り越えながら旅をするという物語だった。
幾つかの困難を乗り越え、幾人かの仲間を得たところで、物語は途切れている。

これは人間が書いたフィクションでありファンタジーだという事は理解している。
だが何故、主人公であるこの人形はそこまで人間になることに固執するのだろうか。
人間よりも頑健な体を持ち、自我を持ち、自律思考が出来、誰からも指示をされることなく行動できるというのに、
それ以上の何を求めるというのだろう。
アミノ酸で形成された身体を得て人間の社会構造に組み込まれるというのは、そんなにも魅力的な事なのだろう
か。

僕は、人間にはなりたくない。
もしも僕が人間になってしまったら、博士を守れない。
博士を守れないのなら、僕に意味など無い。

無いのだ、けれど。

博士により近しい存在に、生体的な感覚器官を持った存在になりたいと思ったことは、一度や二度ではない。
僕は、人間より頑健な体を持ち、自我を持ち、自律思考が出来、誰からも指示をされることなく行動できるというの
に、それ以上の何を求めているというのだろう。

物語の続きが少々気になったが、物語は次の巻へ続くことになっていて、ここにその続きは無い。
僕は本を元の場所に戻し、次の本にマニュピレータを伸ばした。

博士と同じ名前の少女が主人公の絵本を見つけた。
文字が少なく、殆ど挿絵だったが、物理法則や質量保存を完全に無視した奇妙で理不尽な世界を理解するのに手
間取ったので、読解にはそれなりの時間を要した。
タイトル以外で特に興味を引かれた所はなかったが、挿絵に描かれていた暗闇に浮かぶチェシャ猫の笑みは、良
からぬ事を思いついて楽しそうに笑っている時の博士に似ていると思う。
無論、博士の方が愛らしいけれど。

次の本を取り出した。
どうやらこれは恋愛小説、またはラブコメディーとかいうものらしい。
内容は、世界滅亡の鍵を握るらしい女性と何の取り柄もない男性が出会い、ひたすらその男女の心理描写や周囲
の妨害、勘違いや擦れ違いなどがご都合主義的に繰り返されているというものだった。
どうやらこのジャンルにおいては物語そのものよりも人間の心理を動かすような台詞が重要視されているらしく、万
民に通じるような尤もらしい台詞や、いかに主人公がヒロインを愛おしいと思っているか等の描写が多く描かれてい
た。
その中でも、物語が大詰めに近づいたときに主人公が言った台詞が、これだ。

たとえ世界中を敵に回す事になっても、俺は君を守ってみせる

なんという大言壮語だろうか。
僕が読み進めた限りでは、この男性には世界を敵に回して戦えるほどの武力も経済力も無い。
文章から察するに体格はさほど悪くない部類のようだが、格闘ですら一兵卒にも劣るだろう。
武器の扱いに特別長けているという描写も見当たらない。

戦闘の為に造られた兵器の僕でさえも、世界を敵に回したら博士を守って逃げるだけで精一杯だというのに。

例え話であり飽く迄も意気込みを表現しただけなのだと分かっていたってどうにも腑に落ちないが、男性がその言
葉を発した後、女性は歓喜し、巻末までひたすら男女の馴れ合いが強調して描写され、恋のライバルの出番がい
つの間にか無くなっていた。
そして良く分からないうちに、何故だか世界が平和になった。

滅亡はどうなったのだろうか。
いや、コメディーと銘打っているから、これでいいのかもしれない。










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