理解

分かっていた。分かり切っていた。最初から。
だから、忘れようとしていたのに。なのに。


雨に濡れた服に体温を奪われながら、少女は膝を抱えて座っていた。

「やはり、ここか。」

何故、やはりなのか。男自身にも明確な理由はわからなかったが、しかし、ここしかないと判断していた。
そしてやはり、探していた少女は、ここにいた。
男が以前に潜伏していた、橋の下。
あの日の爆発の痕は既に消え、張られていた黄色と黒の立ち入り禁止テープも剥がされていた。

「・・・何で、来たの。」
「お前が死亡すれば、殺せないからだ。」

少女は俯き、表情を隠した。

「・・・そうだよね。・・・わかってる。」
「ならば、帰宅するぞ。」

男がそう声をかけ、少女は立ち上がったが、その場を動こうとはしなかった。

「・・・ねぇ。」

少女はうつむいていた顔を上げ、男の目をまっすぐに見つめた。

「なんで、殺してくれないの。」

少女の頬を流れるのは頭髪から滴る雨水か、それとも涙腺から分泌された体液か。
透明な滴は顎を伝い、地に染みた。

「お前を殺すことが出来なくなって以来、私は独自に考察を重ねた。結果、お前以外に要因となる要素が無いとい
う結論に達した。お前を殺せなくなったのは、お前と接近し、日常的に会話をするようになってからだ。お前こそが、
私のシステムを狂わせ、任務遂行を阻害している要因だ。現時点において、私はそう判断している。」

男も少女の目をまっすぐに見つめ、淡々と言った。
少女が、どういうことかわからない、という顔をしていると、男は言葉を続けた。

「お前は私に、何をした。それともこれが、お前が奴に危険因子と呼称されていた要因か。」
「・・・知らないよ、わたし、何もしてない・・・。わたしはただ、あなたに殺されたいだけなのに・・・!」
「理解不能だ。生存する事を諦めたというならば、理解は可能だ。だがお前は、生存を望みつつも自ずから死を望
んでいる。理解不能だ。」

少女は男に近づくと、橋の下のやや湿った地面に勢いよく押し倒し、馬乗りになった。
男のワイシャツの襟をつかみ、男の体を強く地面へと押しつける。
男は些かも、表情を変えなかった。

「だって、それくらいしか、わたしがあなたにしてあげられる事なんて、無いじゃない!」

少女は、いつもの柔和な表情ではなく、強い感情を帯びた表情をしていた。

「ずっと一緒にいたいけど、それじゃあ・・・あなたが困るだけだもの。」

話をしても、おいしいごはんをつくっても、何をしても、どんなに願っても、必死に忘れようとしても。
目的は、わたしを殺す事。
どんなに孤独が埋まっても、どんなに毎日が楽しくても、どんなに幸せでも、どんなに・・・
だからこそ、先がないからこそ、その手で終わらせて欲しかった。

「それは、以前お前が言っていた、私に対して抱いているという感情に基づいた回答か。」
「そうだよ。」
「・・・やはり、不可解だ。その感情は同種の異性に対して向けるべきものなのだろう。」
「分かってるよ、そんなこと・・・最初から・・・っ。」

忘れようとしていたのに。
なのに、あんなもので思い起こしてしまった。思い知らされてしまった。
先など無いと分かっているのに、知らず知らずの内に先を望んでしまっている事を。
思い知らされてしまえば、ただひたすら、惨めでしかなくて。
悲しいのか腹立たしいのか、それすらも分からなかった。



解析

男は上半身を起こし、少女を膝にのせたまま見下ろして、いつも通り、表情を変えずに言った。

「お前の手で、私を壊せ。」

「え・・・?」
「それで、何もかもが解決するだろう。お前を殺害することが出来なくなった時点で、私は壊れている。即ち、既に
存在する意味を失っている。最早この時代に存在している意味など無い。私は自分自身を破壊する事が出来無い
が、お前ならば私を破壊する事が出来る筈だ。お前が私を完全に破壊すれば、お前はその感情から解放される。
そして、何れ来るであろう私の後続機によって任務は遂行されるだろう。」
「・・・出来ないよ、そんなこと・・・!」
「それは、私に対して抱いているという、その不可解な感情の影響か?」

少女は男の胸に額を当て、小さく頷いた。
改めて強く強く自覚したその感情で、苦しくて、このまま死ねるのではないかとすら、少女は思った。

温かい。暖かい。あたたかい。
額を当て、手を当てた男の胸は、ずるくて残酷で暴力的なまでに、心地よく、あたたかい。
いっそ冷たかったなら、こんな感情を抱かずにいられたのだろうか。
自身の心に問いかけても、否定しか返ってこなかった。

「・・・それは、今現在私の中で発生しているエラーと、何らかの関連性があるのか? ・・・私はお前を殺害する事が
出来ない。お前は、私を破壊する事が出来ない。この事象は、共通性のある事象なのか? 起こり得るはずの無い
エラー。非生命体に対して起こり得るはずの無い感情。不可解だ。理解不能だ。私は、お前が私へと向けていると
いうその感情を持ち得ていない。だが、それを理解する事が出来ない以上、関連性の有無を完全に否定する事は
出来ない。否定する為には、理解しなくてはならない。否定すればこの事象に関連性の無いことが立証される。」

「・・・よくわかんない。」
「お前が私に対して抱いているという感情を理解し、私の中にその感情が存在しないという事を確立する事によっ
て、エラー解消に繋がり、お前を殺し、任務を達成できる可能性がある、ということだ。」
「んーと、要するに、わたしがあなたのことをどう思ってるかっていうのをあなたが分かって、それで、あなたはわた
しの事をそんな風には思ってない、って事が分かればいいの?」
「単純に言えば、そういう事だ。」

「・・・きっとそんなの・・・エラーとは関係ないよ。」
「解決策の一つとして仮定したまでだ。現状を維持し、殺害行動も続行する。成否、及び関連性の有無は、理解し
てから判断する事項だ。」
「・・・そっか。」

少女は男の顔を見上げ、いつものように表情を緩めた。

「・・・じゃあ、いつか・・・理解して。」

今じゃなくていい。全部じゃなくてもいい。
いつか、ちょっとだけでも。分かってくれるなら、それでいい。

いつか、嫌いになってもいいから。だから、今は、今だけは・・・。

少女は男のワイシャツの襟を掴み、ぐいっと顔を下げさせた。
極度に赤らむ頬。一瞬の躊躇い。しかし、止めることはしなかった。


川縁の街灯が縁取った二つの影は、ほんの一瞬だけ一つに重なり、次の瞬間には、分かたれた。


「この行為に、何の意味がある。」
「・・・きっと、そのうち分かるよ。」
「そうか。」
「じゃあ・・・帰ろっか。」
「・・・うむ。」


「・・・いつか、ちゃーんと、嫌いになってね?」

少女は広げた傘を横に向け、男に表情を隠したまま、いつもより少しだけ小さな声で、そう言った。



あるバイトは見た

「(あれ? あそこを歩いてるの、機真面目先輩と彼女さん・・・?)」

「ごめんね、泥だらけにしちゃって。」
「問題無い。」

「(仲直り出来たんっすね・・・よかったっす。)」

「ねぇ、何で傘、わたしのしか持ってこなかったの?」
「ふむ・・・失念していた。」
「もー。」

「(・・・相合い傘・・・。見てるこっちが恥ずかしくなりそうっす・・・けど・・・。)」

「・・・何故、密着する。」
「だって、傘、わたしのしか持ってこなかったんでしょ? 狭いんだから、詰めないと濡れちゃうよ。」
「・・・うむ。」


「(・・・雨、もう止んでるんっすけどねぇ・・・。)」










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