そしてそれは実行された。 人を殺させなかったのは、少しでも罪の意識から逃れたかったからだろう。 少なくとも、私の見ているところでは、人は死んでいない。 私の造りだした兵器は、私の見ているところでは、まだ、人を殺していない。 只の、自己満足だ。それ以外の思考なんて皆無だ。 彼だって、人を殺しても何とも思わない、只の兵器だったら楽だったろうに。 残酷なことに、自我を与えた。 いずれ、己の行動に疑問を持つかもしれない。 いずれ、罪の意識を持つかもしれない。 いずれ、己の存在にすら疑問を持つかもしれない。 それでも私は彼を、利用した。己のためだけに、利用し続けた。 軍の人間と、なんら変わりはしない。 「・・・私はあなたを利用しているだけ。今のあなたなら、理解できるでしょう? それが、どういうことなのか。・・・だか ら・・・。」 私は、ロイのマニピュレータを引き寄せて首に当て、ロイの顎を無理矢理開けさせて主砲を向けさせ、ロイの胸部 のハッチを開け、ケーブルを引っ張りだして白衣と服の襟元を緩め、左胸の皮膚へ直に当てた。 「私は、ひとを殺すためにつくったあなたのことなんか、だいきらいで、なんともおもっちゃいなくて、ここで、さよなら したいの。」 だから、したいように、して。 マニピュレータで首を絞めて。主砲で消しとばして。電流で心臓を止めて。 それで許されるなんて、思ってはいないけれど。 思っては、いけないのだけれど。 「どうするかはあなた自身で決めて。好きになさい。」 ロイは小首をかしげた。 彼は日に日に、彼らしい個性を、仕草を習得しつつある。 ただの兵器ならば、そんなことはしない。 ただの兵器ならば、そんな無駄などない。 発声装置から発されるのは、優しげな声。 『本当に利用しているだけなら、何故、僕にそれを話したのですか。』 胸が詰まって、苦しくて、何も言えない。 苦しくて、苦しくて、手に、力が入らない。 目の奥が熱い。 視界が、不鮮明になる。 『博士』 ロイは、マニピュレータで私の頭を撫で 『何故、泣いているのですか?』 ケーブルで私を抱き寄せた。 その動作に込められた優しさに、暖かくて冷たいものが頬を伝い落ち、顎の先からぼたぼたと、みっともないくらい に滴り落ちて地面を濡らす。 気が付けば、私はロイに縋りついて、わあわあと、幼子のように泣きわめいていた。 「私はっ! わたしは、ずっとっ、ずっとロイにあやまらなくちゃってっ!」 思っていた。本当は、そう思っていた。 「でも、こんなのゆるしてくれるわけないって、おもっ、てっ・・・!」 そうだ、許されるはずがない。 「いっ、いやだったのっ! ぜんぶ、ぜんぶ! ほんとは、つくってからずっと、ロイたちが、こわっ、こわかったの! ロ イたちがそっ、そとにでたら、またたくさんひとをころすのが、こわかったの! ほんとは、ほんとはすごく、すごくこわ くって、ぜんぶいっしょに、わたしごと、ぜんぶぜんぶ、つぶれちゃえばいいっておもっ、てっ、おもってたのっ!」 だから、研究室を埋めるための爆薬は、以前から仕掛けられていた。 頭を撫でていたマニピュレータが止まった。 ケーブルがゆるんで、少し退いた。 それでいい。私に優しくする必要など微塵も無い。 「だけど、しぬのもこわくって、こわくって、ちっともしねなかった・・・。」 人を殺す兵器を造ってきたくせに、死が怖かった。 「こんなくらいとこでしにたくないって、おとうさんみたいにくるいたくないっておもっちゃったから、だから、ロイはなん にもしらなかったのに、なのに、わたしはロイを、りっ、りようして、そとにでようって、でも、にげられるとこまで、いけ るとこまでいったら、しんじゃおうって、そとをみて、もう、もういいやっておもったら、そこでしんじゃおうっておもって たの! ロイのことなんてちっともかんがえてなかったの!」 本当に、死に場所を探して、適当なところで死んでやるつもりだった。 ロイがどうなるかなんて、考えていなかった。 「なのに、ロイが、わたしなんかを、まもるなんていうから、いいだすから、また、しぬのがっ、しぬのがこわくなっち ゃって、わたしなんか、ロイのことさいしょからどっ、どうぐみたいにかんがえてたのに、ロイがやさしくて、やさしくっ てっ! だっ、だからっ、だからぁっ!」 黒々とした負の感情の、その全てを吐き出した後に残ったのは、虚しさと後悔が漂う空洞だけだった。 そして、その空洞を埋めたのは、ほかならぬ、負の、黒々とした感情を吐き出して造りだした存在だった。 「だから、ロイと、ずっと、ずっといっしょにいたいって、おもっちゃったの! でも、わたしはロイにあやまらなきゃいけ なくって、あやまったってゆるされるわけなくって、くるしくって、どうしようもなくなっちゃって!」 彼からの感情が、染み込んできた。 彼へ向ける情を、持ってしまった。 共に歩みたいと、願ってしまった。 その全てが、私を苛んだ。 「ゆるしてなんかっ、もらえなっ、ないからっ、だからロイにっ、ロイにころしてほしくってっ、それでゆるされるわけな いのにっ、でもっ、ロイにきらわれて、ゆるしてもらえないのに、いきてたく、なくってっ!」 だから、殺してほしい。 許されないことなど、最初から分かりきっている。 償ったって、償いきれるものではない。 「ロイが、なかないで、って、いってくれたとき、うれしかった。ほんとに、うれしかったの。なのに、わたしはどこまて もじぶんかってで、ださんてきで、じぶんのことしかかんがえてないえごいすとで! ロっ、ロイにひとをころさせたく なんかっ、ないのに、わたしはまたわたしのことしか、かんがえてないから、ロイにわたしをころさせようとしちゃう の!」 しゃくりあげ、横隔膜が痙攣し、呼吸もままならない。 ただ、言葉だけは伝えたくて、必死で紡いだ。 「ごめ、ん、なさ、い。ごめん、っ、ロイ、ごめん、ごめん、っ。」 ぐずぐずと、涙は止まらなかった。 只々、謝罪の言葉だけを繰り返した。 伝えるべき言葉は、それだけではなかったはずなのに。 『博士。』 見上げた彼の顔に、いつも通り表情などない。 けれどなぜだか、表情では表現されない感情の一端が垣間見える気がする。 『今現在、まだ、僕は恐怖の対象ですか?』 私は首を横に振った。 勢いで、涙の飛沫が飛び散った。 『なら、この動作に問題は無いと判断します。』 マニピュレータが頭を撫でるのを再開し、ケーブルが少しだけ強く、私を抱きしめた。 「なんで! ・・・なんで!!」 そんな風に接される理由など無い。 恨みを込めて造り、勝手に恐れ、利用した挙げ句、使い捨てようとしたのだ。 いまさら許しを乞うなど、許されるはずがない。 『博士、僕は、博士の事を恨んでなんかいません。生み出されたことも、与えられたものも、ここにいることも。僕は 最初からずっと、例え利用されていただけだとしても、博士を守ることは僕の意思です。博士を守りたいから、僕は 僕なんです。だから、死ぬなんて言わないでください、博士。それでも、僕が僕であることが博士にとって苦痛にな るなら、僕は、僕を殺します。物言わぬ、只の兵器になります。』 実際、それを実行できるくらいに彼の成長は進んでいた。 発達させた言語処理能力を残したまま、私の声のみに従う只の兵器に自身を改造する事だって可能だろう。 そしておそらくそれは、ロイが元々なるべきだったものに一番近しい形。 「や、だ・・・だめ、だめぇ! そんなのいやぁっ! ちがう・・・! ちがうの! ロイにくるしんでほしくなんかない、けど、 でも、でもロイは、ロイはしんじゃだめ! わたっ、わたしなんかのために、しんじゃだめえぇっ!!」 必死で彼に取り縋り、必死に訴えた。 『はか、せ・・・。』 博士、博士と、譫言のような声で何度も呼ばれた。 頭を撫でるマニピュレータに、少しだけ力がこもった。 いつの頃からだったろうか、その声が、感情を含むようになっていたのは。 『僕、は。』 「・・・・・・んぅ、っ・・・!?」 ケーブルとマニピュレータで引き寄せられ、私の口が、ロイの顎に触れた。 これは偶然の接触だったのかもしれないが、事実上、これが私の、最初の 。 『はかせ、博士、僕は、ぼ、くは、ぼくは、博士、を・・・』 切羽詰まったような、ノイズすら混じった声。 彼の、処理しきれない感情が、私にも流れ込んでくるようだった。 私のつまらない許し乞いなど押し流してしまうくらいに、彼の感情は強かった。 『博士。はかせ、博士、博士。』 人間が所持する感情の中でも、高等であるとされながらも本能と直結した感情であり、重要視され、神聖視すらさ れるもの。 だがそれは、繁栄の為に有性生殖を行う生物であってこそ発生する感情であり、生殖はおろか生物ですらない存 在が獲得し得るはずがないものだ。 だが、これはそれ以外の何物でもないのだと、それ以外のものだとは考えたくないのだと、彼は言う。 彼は、性差的な精神構造さえも自身で選択し、獲得していた。 体を抱きしめるケーブルが増え、はだけていた胸元にも入ってくる。 感情の奔流に、与えられる感覚に、私は流された。 『本当に、許されてはいけないのは、僕です。』 彼の言葉を、押し流されつつある意識の中で必死に否定して、彼を抱きしめた。 装甲が肌に食い込む痛みにも構わず、強く、強く、爪が欠けるのも厭わず、彼の装甲を引き寄せた。 何度も名を呼んだ。 「ロイっ、ロイ、ロイ、ロイぃっ!」 体にこもる熱は、冷たい装甲に奪われても尚、冷めなかった。 熱い涙が頬を伝い、彼の装甲を濡らした。 これほど強い感情がまだ私に残っていたのかと、自分でも動揺したが、それでも一度堰を切った感情の流れは止 まらなかった。 『あり、す。』 私の、名前。 恐らくは、彼の中に記録されている私のパーソナルデータから引き出された情報だろう。 その名で呼ばれたのは、ずいぶんと久しぶりだった。 虚しさと寂しさが、全て、かき消えてゆく。 只々、愛おしい。私の名を呼ぶ彼が、愛おしい。 「ロイぃ・・・っ!!」 視界は白く。どこまでも白く。 愛おしい色に、染まっていった。 次 前 戻る |