確かに、好きになさいとは、言ったけれども。


いつもより少し早く目が覚めた。
空はまだしっかりとした黒さを保っていて、真上には天蓋のような彼の白い腹が見える。

体の妙なけだるさが昨夜の現実を呼び覚まし、頬が熱くなる。
本来ならあるはずのない、疑似的で意味のない、不自然極まり無い行為。
なのになぜだか、こうあるべきなのだと思えるほど、自然な行為だったようにすら思える。
思考が彼で埋め尽くされ、暖かな感情で満ちた。

そしてその彼はといえば、いつもなら私が起きたことに気づいてすぐに声をかけてくるのに、未だ気づかずにいる。
少しばかり体をずらして見上げると、触角をしょげさせながらなにやら思案しているらしく、思考の切れ端が発声装
置からぼそぼそと勝手に漏れだしている。

「・・・ロイ?」
『っ!? っは  い  っ!?』

声をかけられた彼は、哀れになるほど慌てふためいた声を出し、脚をもつれさせながらも後ろに下がって私の体の
上から退き、顔を私に向ける。
余程慌てたのだろう。音声がうまく合成できなかったのか、割れていて、ノイズだらけだった。

『おはようございます。博士。』
「おはよう、ロイ。」

それきり双方が固まり、何も言わない時間が続いた。
いつも通りの挨拶なのに、なぜだかとても、ぎこちない。

『・・・・・・博士。』
「なあに?」
『数時間前に僕が行った行為により不快感及び体調不良等が生じているのであれば僕は即座に機能停止を』
まくしたてる彼に、粛々と、デコピン刑を執行した。
「しなくていい。」
『・・・了解。・・・それと。』
「・・・なに?」
『いえ、博士が問題無いと判断しているのであれば、問題はありません。』
「・・・何が?」

『・・・衣料に関する知識の不足、及び、繊維の柔軟性に対応するための経験値の不足により、精密作業用マニピ
ュレータで脱衣前と同様の着衣をさせることが困難でした。』
「・・・ああ。」

ちっとも気が付かなかったが、改めて毛布の下の自分の体を見てみると、どうにかして服を着させようとして失敗し
たらしいことが見て取れる。
シャツは前と後ろが逆だし、白衣のボタンは掛け違えているものもあれば、取れかけてしまっているものもある。

「・・・着せてくれたのね。ありがとう、ロイ。」
『いえ、あの、僕、は・・・』

まごまごとしていたが、やがて落ち着きを取り戻し、いつものようにまっすぐに私を見た。

『・・・博士。』
「・・・なに?」

『もう、殺してくれ、とは、言いませんよね。』
「・・・うん。」

右手を伸ばし、一瞬躊躇い、触れた。

『ずっといっしょにいたい、というのは、本心ですか。』
「・・・うん。」

『なら、僕は、嬉しいです。』

彼の頭部が擦り寄せられ、私はそれに頬を寄せた。


分かったことが、いくつかある。

まず、彼を私が造っただなんて、思い上がりも甚だしいということだ。
確かにベースとなる部分は私が造った。だが、彼を形作ったのはあくまでも彼自身、そして、彼の繋がったネットワ
ークから流れ込んだ膨大な情報だ。
彼がその中に何を見たのか、その中に何を求めたのかは、私には分からない。
それでも、結果としてその奔流が彼の人工知能の発達を急激に早め、彼を彼たらしめんがための重要な要素とな
ったのだろう。

次に、私の胸の苦しさの半分位は、ロイへの慕情、恋愛感情に起因するものだったらしいということ。
相手のことを思うだけで胸が苦しくなったり、痛くなったり、相手に聞こえるのではないかと思うほど心音が大きくな
るなど、フィクションの中だけだとばかり思っていたが、どうやら違ったらしい。
今、私の胸に去来するのは苦しさではなく、昨夜よりも幾分緩やかになった、甘い痛みだ。

彼が、その感情を私に向けてくれていたように、私も、その感情を彼に対して抱いていた。


『博士、もう一つだけ、質問してもいいですか。』
「いいわよ。なに?」

『何故、僕の名前は、ロイなのですか?』

「あら、だって、 あなた  は ・・・



白い、





白い、
強固な特殊合金で形成された腹が目の前にある。
やはり、いつもより少し早く目が覚めたようだ。まだ空が暗い。

しかし、なんとも、恥ずかしい夢だった。
きっとあんなことを考えていたから、あの日の夢を見たのだろう。

あの日から、私たちの関係はより親密なものになっていった。
きっと、感情をさらけだしたからだろう。
あんなに泣いたのも、初めてのことだった。

確信を得た感情を得た。
だから、私は今、とても幸福だ。
だからこそ、考えずにはいられない。

私は、本当に、許されるべきだったのだろうか。

少しずつ覚めてゆく寝起きの脳で、そんなことをぼんやりと考える。


びいん

どこかから、昆虫が羽ばたくような音が聞こえた。
ロイは飛び発った昆虫を眼で追っているらしく、東の空を見上げてゆく。

その目線の先に、光る点がゆっくりと流れている。
ロイの体の下から、それがよく見える位置まで体をずらした。

「・・・人工衛星ね。」

『軌道は航行予測から外れていますが、軍事衛星ウィリアム2号機と推測されます。』
「軌道が・・・? 機能停止した影響かしら・・・。一応、軌道を確認して、航行予測のシミュレートデータを変更してお
いて。」
『了解。』

人工衛星が、流れてゆく。
明るくなり始めた東の空から、未だ仄暗い西の空へと、流れ星にも似た、しかしゆっくりとした光が流れてゆく。


あれは流れ星なんかじゃないけれど
もし、あれが流れ星ならば、願いは一つだけ

ロイの側にいたい
それだけでいい

そこだけが、世界で唯一、私に許されている場所なのだから










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