7. 始まりの 白日



『機体外殻、休眠状態へ移行開始。』

そう言ってから、六本脚の巨体は動かなくなった。
研究所を脱してから初めての休眠。
滞りなく終了すれば、24時間後には再起動するだろう。
それまで、私は一人きりだ。
だから、手頃な岩場を見繕って、縦穴のような窪みに隠れ、岩と機体の小さな隙間を通って、白い機体の下に身を
潜めている。

24時間くらい、なんとかなるだろう。

そもそもこのシステムは、システム的なメンテナンスが不可能な環境に於いて長期間稼働を可能にするために組
み込んだ補助的な機能であり、然るべき施設で然るべきメンテナンスを定期的に行える環境であれば、24時間も
の時間を外殻機能維持の為のシステム調整に費やさずとも済むのだ。
だが、無い物ねだりをするつもりはない。
その環境を手放したのは私の意志だ。
・・・いや、意志などという高尚なものなどではなく、ただのわがままだ。
体制におもねったならば、相応の働きをしなくてはならなかったはずだ。
にも関わらず、莫大な費用を費やして建造された地下研究所を爆破し、莫大な費用を費やして開発した新兵器を
持ち逃げした。

「逃げるのを、手伝いなさい・・・か。」

以前自分が口に出した言葉を反芻した。
あんなみじめったらしいところに、いつまでも居たくなかったのだ。
いつまでもいつまでも、絞り滓のようになるまで兵器を作り続けなければならなかっただろう。
それが嫌だから、どんな形であれ、逃げたかったのだ。
研究所にいれば、自分がやってきたことに嫌でも目を向けなければならない。
だから、全部壊した。
あの場所にあったものを全部壊したところで、なにも無かったことになんかできないのに、作られたものはすでに、
見知らぬ誰かによって複製され、見知らぬ誰かの手に渡り、見知らぬ誰かの大義名分のために破壊を続けている
というのに、それら全てから目を背けたかった。

きれいさっぱり、なにもかも、さっさと滅んでしまえばいい。
あの鬱屈とした研究室で、何度そう思い、破滅を望んだことだろうか。

自らのため息すらも大きく聞こえるほど、身を隠した岩場は静寂に満ち満ちていた。
世界はこんなにも静かなものだっただろうか。
きっと、ロイの駆動音を聞いているのが常になっていたからだろう。
ロイが、博士博士と、うざったいくらいに話しかけてきていたからだろう。
ロイが、ロイが・・・ロイが。

寂しいなんて、思ってなどいない。
どこまでいこうとあれは兵器だし、いくら自律思考を発達させても、所詮は他律思考の補助でしかない。
ないはずだ。
だから、ロイがこちらを見てくれなくて寂しいなんてことはないし、ロイがしゃべらなくて寂しいなんてことはない。
ないはずだ。
あれは、私が利用している兵器でしか、無いはずなのだから。
寂しいなんて、思ってはいけないのだ。

なぜだかもやもやとした気分になり、岩場を登った。
じっとしているのに嫌気がさしたからだろう。たぶん。
鬱屈した岩陰は、地下を思い出させるからだろう。たぶん。

正確な時刻は不明だが、日は高く、天候は晴れ。
岩場の天辺からはわりと遠くまで見渡すことが出来た。
荒れ地を抜けて岩場に吹き渡る風は、涼しくはないが心地いい。

今のところ、敵影は無い。
もし敵を見つけても問題は無い。
ロイを置いて、逃げればいいだけだ。
唯一の移動手段であり身を守る手段であるロイを手放すわけではない。
ロイの体を動かすにはそれなりの輸送手段が必要だし、適当な武器で簡単に破壊できるほど軟弱でもない。
ロイを囮にして、ロイが休眠状態から再起動するまでの時間が稼げればいいだけだ。
無事に再起動さえすれば、あとはロイが自身の判断で敵を倒すだろう。
兵器なのだから。

周囲をぐるりと見渡して、敵影の無いことを再度確認し、岩場を降りてロイの影に隠れた。
べったりと真っ白な、白い白い装甲を睨め上げる。
白い腹の天井は、研究所の白い天井を思い出すから、嫌いだ。
半ば八つ当たりのような感情を抱き、一つ、ため息をついた。

だけど、けれど、けれども。
白い装甲は、嫌いだけれども。
でも

そこまで考えて思考を中断した。
兵器に向けるべき感情ではないと、未だ幼稚な私の意識が、庇護してくれる存在を求めているだけなのだと。
そう判断して、そうして、また一つ、ため息をついた。
先ほどよりも、小さく。浅く。


それからの時間、特にすることもなくだらだらと過ごした。
バックパックから食料を出してきて少し食べたり、意味もなく岩の隙間に生えていた草を引っこ抜いたり、たわいな
い時間を過ごした。
あまりにものんびりとしすぎて、次第に眠気がおそってきてしまった。
もうすぐ24時間が経過するということもあり、気もゆるんでいたのだろう。


暫く経って目が覚めたとき、しまった、と思ったが、何もなかったことに胸をなで下ろした。
少し不安だが、あと少しだ。
夜明けが近づく青黒い空を見、周囲を見渡すために岩場を登った。

そして、驚くほど近くに、それは居た。
足音も無くこちらへと接近する、いくつもの黒い影。
それを視認したと同時に衝撃が肩に走り、体勢を崩した私は岩場を滑り落ちた。

敵だ。
迂闊だった。見つかってしまった。撃たれてしまった。
逃げようにも、近すぎる。
もう、逃げられない。

銃撃と落下の衝撃でふらつきながらも必死に機体の下へと逃げ込み、鞄の中をひっくり返し、縋るように時計を探
した。
休眠に入った時間は記憶している。もうすぐだ、もうすぐロイが再起動する時間のはずだ。

「おい、いたぞ、間違いない。『死神』だ。」

頭上から、人間の声が降り注ぐ。
人の声を聞いたのはずいぶん久しぶりだと、この場にそぐわない感想を抱いた。

「本当か。」
「あれを見ろ。」
「あれが東の新兵器とやらか。」
「しかし、本当に『死神』が、あんな小娘だったとはな。」
「そんな事は関係無い。あいつの設計した兵器で、何人の同胞が死んだと思っているんだ。」
「あぁ、違いない。」
「発見次第殺せと、上からの命令も来てる事だしな。」
「だがあの兵器、動かないぞ。」
「故障か、あるいは燃料切れか。何にせよ、今のうちだ。」
「殺せ。」

こんなにも殺意を含んだ声を聞くのは初めてだと、初めて、この場に合った感覚を抱いた。

―――ああ、だから、こんな世界、早く滅びてしまえばよかったのだ。
そうすれば、私を責めるものも、いなくなってしまうのだから。
それは実に子供じみた、子供らしい、子供のような、そんな考えだった。

「う、あ・・・。」

ようやく引っ張り出した時計を見て、思わず、うめき声が漏れた。


ロイが起動するまであと5分。
絶望的な数字だった。










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