僕の感覚の端っこが、何かを捉えた。
それが只の野生生物だったなら、どんなによかったろうか。

エンジン音。トラック。熱源。ドアの開く音。人型の熱源。足音。二人分。ドアの閉まる音。
眼は博士を捉え続けていながらも、増設された感覚は敵の情報を拾い上げる。
博士と言葉を交わしながらも、敵の情報を解析し続ける。
一人が視覚に入った。
人間。男性。推定年齢30代後半。軍服。東国側。階級章無し。拳銃。ナイフ。
もう一人。
人間。男性。推定年齢30代前半。防弾着着用。拳銃。
妙だ。
今まで僕達を追ってきたのは、大概が特殊部隊や人機混成部隊だった。
けれどもこの人間は、護身用とおぼしき最低限度のもの以外、武装を持っていない。
だがしかし、軍服を着ている以上、敵で間違い無い。

まったく。よりにもよって。こんな時に限って。
博士に報告し、早々に何らかの対応をとらなくてはならない。
そう判断した。が、どうすべきか、躊躇っている。
博士の邪魔をしたくない。

報告を怠った事がバレたら、怒られるなんてものじゃ済まないかもしれないし、ひょっとしたら少しだけ嫌われてしま
うかもしれない。
それは装甲に徹甲弾を撃ち込まれる事よりも、高出力プラズマレーザーの照射を受ける事なんかよりも、もっともっ
と、途轍もなく恐ろしい事だ。でも。それでも、博士を引き戻してしまいたくない。

なら、僕のすべき事はもう、決まったようなものだ。
博士に事実が発覚しなければそれでいいんだから、戦闘音が博士に届かないように静かに。気づかれないよう迅
速に。倒してしまえばいい。

『・・・博士、少し、周囲の警戒に行ってきます。』
「・・・そう。」

博士はハーブティーの最後の一口を飲み、空になったカップを静かに皿に置いた。

「遠隔センサーを回収しに行くなら、私は荷造りしておくから。」
『・・・いえ、まだ移動には早いかと。博士はゆっくりしていてください。只、僕は・・・。』

「ばれないとでも、思ったの?」

立ち上がった博士に詰め寄られ、僕は少し後ずさった。

「戦闘しに行こうとしたでしょ。一人で。」

核心を突かれ、僕は少し、いや、大いに、狼狽えた。

『・・・何故、ばれたのですか?』
「そんなの、見れば分かるわよ。」

僕に表情なんて無いのに、一体どこをどう見れば、そんな事が分かるというのだろう。
僕は触角を、だらりと下げた。

「確かにあの頃は、こんな風に過ごせたらいいな、とか、思ってたけど。・・・けど、ね、今は多分、そうじゃない。ロイ
の気持ちは嬉しいけど、ロイを戦わせてまで手に入れたいものじゃない。・・・だから、逃げるの。いつも通り。避けら
れる戦闘なら、しなくていいんだから。」

博士は僕の主眼と目線を合わせ、頭部の装甲を撫でてくれた。

『・・・了解!』

僕は博士のその判断が嬉しかったけれど、なぜか少しだけ、寂しくもあった。
戦う事しかできない僕に、戦うこと以外、何が出来るのだろう。

ともかくも、今は滝の情報を収集し、いつも通り、逃走の準備をしよう。
博士が荷造りをしている間に、敵の隙をついて遠隔センサーを回収しなければ。
まだ敵の位置は遠いし、周囲を包囲されているわけでもない。
情報を収集しながら慎重に行動しよう。

そう思考していた僕の聴覚に、音声が入ってきた。


おお、本当にあった。これだろ? センサーって。
そのようですね。
話しゃいいの? これに向けて?


送られてきた音声に、僕は、自身のセンサーを疑った。
まさか、こちらに向けて話しているのか?
何のつもりなのだろう。

『・・・博士、敵の行動が非常に、奇妙なのですが。』
「どういうこと?」
『センサーからの音源を、僕の音声出力で出力します。』

『「あー、あー、マイクテス、マイクテス。・・・本当に聞こえてんの? これで。」「俺に聞かないでください。」「それもそ
うか。・・・えー、博士。アリス・ティア・ロザ・クレイル博士。我々は軍の人間では無い。我々に敵意も、戦闘の意志
も無い。聞こえていたら、我々との交渉に応じていただきたい。」』

「・・・交渉?」

『人数は二人だけのようです。・・・こちらに近づいてきます。どうしますか? 博士。』
「・・・ロイは、どう思う?」
『適切に判断するには、判断材料が不足しています。ですが、少なくとも、こちらの動きが予測されている以上、厳
重に警戒すべきかと。』
「・・・接触、してみましょうか。」
『危険です。どうしても確認するというのなら、僕だけで・・・。』
「そういう罠だったらどうする? 私とロイを引き離すのが目的の。」
『その可能性も、否定は出来ませんが・・・。』

判断材料が不足し過ぎていて、僕には判断出来ない。
接触しないという選択肢もあるが、僕らの位置が特定されていた事から判断するに、僕らの動きは把握されている
可能性が高い。
そんな状況のまま旅を続けるのは、リスクが大きすぎる。
せめて、どのような方法でこちらの位置を特定したのか、それだけでも突き止められればいいのだが、その為には
結局、接触するしかないのだ。

「・・・多分、だけど、接触してくる理由に、心当たりが無いわけでもないの。」
『では・・・。』
「接触する。但し、きっちり警戒もする。武装の弾、装填しておきなさい。」
『了解。』

それが何なのか、言及する事をしなかった。
言わなかったという事は、言いたくない事なのだろうから。

「それと、ロイは成る可く喋らない方がいいわ。」
『何故ですか?』
「私の指示でしか動かない他律思考のロボットだと思わせておいた方が、いざというときに何かと動きやすいじゃな
い。」
『・・・了解。』

僕に搭載されている人工知能がどれ程のものなのかなんて、まともな記録は残っていない筈だし、元々は他律思
考の補助を目的として人工知能が搭載される筈だったのだ。
人間とのコミュニケーションなど、想定すらされていない。
だから、僕が自律思考可能だと知っているのは、実質、博士だけだし、他の人間が僕の事を知っていようと、それ
はあくまで、人間に使役される強力な兵器だという情報だけだろう。



これからいったいどうなるのか、僕には見当が付かない。
博士には、少しなりとも予見が出来ているのだろうか。
僕たちに接触しようという人物は、一体何者なのか。
少なくともそれだけは、慎重に見極めなければならない。

僕の主眼でも、その姿を捉えた。
至って普通の人間と、それなりに良い体格をした、東側の軍服を着た人間だ。
普通の人間の方は警戒しているようだが、軍服を着た男はこちらに気づいて、笑顔を向け、大きく手を振っている。
それに対して、博士はどう反応していいのかわからないらしく、僕に目線を向けたが、僕にだってそんな事はわから
ない。



切れ者か、あるいは、愚者か。
僕にはとても、見極められそうにない。










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