9. Tea Time Breakers



それは、実に奇妙な午後のティータイムだった。

円いテーブルを挟んで対峙する、博士と二人の男。
一方は東の軍服を身に纏っていて、もう一方は、どこにでもありそうなごく普通の服を着ている。
一人は柔和な表情で、もう一人は、少しばかり目つきが鋭い。

「さて、まずは自己紹介でもしようか。俺はトーマス。トムでもトミーでも、好きに呼んでくれ。それと、こっちの仏頂
面はボリスだ。」

ボリスと呼ばれたごく普通の仏頂面は、軽く頭を下げた。
僕の推測だと多分、いや確実に、どちらも偽名だろう。
でも、仮に本当の名前を言っていたとしても、今はデータベースと照合して正体を調べ上げる事も個人情報を掌握
する事も出来ないから、やっぱり今の所、真偽はどうでもいい。
どうでもいい以上、この両名の名前なんて只の記号だ。

「・・・私の事は知っているんでしょうし、私が自己紹介をする必要はなさそうね。」
「それもそうだねお嬢さん。でも、俺としては是非とも、色々と詳しく知りたいところなんだけれどね。無論、個人的
に。」

博士に向けて輝く白い歯を見せて微笑むトーマスを横目に、またか、とでも言いたげに、ボリスと呼ばれた男は溜
息をついた。
それから察するに、どうやらこのトーマスという男は、女性に対してこういった軟派な行動をとる事が多い傾向にあ
る人間らしい。
それを踏まえ、警戒レベルを軽武装の歩兵に対するものから、重装備の機兵に対するレベルまで引き上げた。
とりあえず、博士に何かしたら、次の瞬間には粉微塵にしてやれる。
それによって博士に怒られるかもしれないし、ひょっとしたら嫌われるかもしれないという非常に重大かつ致命的な
危険性が危惧されるけれども、博士の安全には代えられない。

博士は二人の招かれざる客人に、先ほど探索して幾つか見つけたカップの中でも、欠け方がまだましなものにハ
ーブティーを注いで差し出した。
開けるかどうかを迷っていたとっておきの非常用ビスケットの封も開けられ、お茶受けとしてテーブルの中央に鎮座
している。
普通の男は訝しげにカップの中を覗き込んだ後で少しだけ口に含み、軍服の男は香りを楽しむように湯気をくゆら
せた後、一気に飲み干した。

「ふむ、まさかこんな廃屋に人探しにきて、美味しいハーブティーを頂けるとは思ってもみなかったよ。」
「・・・全く、あなたはもう少し慎重に行動すべきですと、何度言ったら分かるんです。」

何故か、一気飲みした男は一口啜っただけの男に小声で怒られている。
おそらく、毒物の混入を危惧しての発言だろう。
博士はそんな非人道的な事はしないというのに。
まあ、少なくとも、戦力的有利が僕たちにある限りは、多分、しないだろう。

「人を疑ってかかるのはお前の悪い癖だぞ、ボリス。ましてや、レディーを疑うなんて、紳士として恥ずべき行為
だ。」

ボリスと呼ばれた男は何も言わず、深く嘆息した。
しかし本当に、この男はもう少し用心した方がいいのではないだろうか。
毒が入っていないにしたって、軍から逃げ出した僕達が軍に対して良い印象を持っている筈が無いし、実際、僕は
今現在、この招かれざる客人達に対して良い印象を何一つ見出していない。
それは、博士のティータイムを邪魔した邪魔者で、あらゆる面において限りなく疑わしく、こちらに対して害意を持っ
ている可能性が極めて高い存在で、博士に対して馴れ馴れしい態度をとっているからだ。
特に最後の条件は、状況によっては万死に値する。

軍人ではないとは言っていたけれど、軍服を着ているからには軍と少なからず関係があるのだろうし、僕の戦力的
価値は十分に理解している筈だ。
なら何故この男は、何をされてもおかしくないような戦力的不利な状況下で、こんなにもにこやかにしていられるの
だろうか。
もしかしたら、僕達を徹底的に破壊する為の大がかりな作戦が進行していて、この二人は囮なのかもしれない。
状況から判断して、その可能性は十分にあり得る。
しかし、この二人の監視と平行して広範囲に設置している遠隔センサーからの情報も確実な処理を行っているけ
れど、今のところ周囲に異常は無い。
遠方から、先端に膨大な熱量を持った物質を搭載した巨大な熱源が近づいていたりもしていない。
少なくとも、今のところは。

博士は自分のカップの中のハーブティーを一口飲み、口を開いた。

「私は疑われようとそうでなかろうと構わないけどね、貴方たちのおしゃべりを聞くためだけにお茶を出したつもりは
無いの。」
「おっと、すまないねお嬢さん。どうにもこいつはやたらと用心深くてね。まあ、それがこいつの良いところでもあるん
だが。」

空になったトーマスのカップにお茶を継ぎ足してから、博士はもう一口ハーブティーを飲み、軽い溜息を吐いた。
その仕種の中に少しだけ垣間見える緊張と精神的な疲労を、僕は読みとっていた。
博士は平静を保ってはいたけれど、研究所に居た頃から博士が他の人間と会話をしている場面をあまり見た事が
無かったし、自発的に会話をしている事は特に少なかった。
多分、得意ではないのだろう。

「長話をするつもりは無いわ。・・・私に接触を図ってきた理由は、何?」
「はっきり言うのと、回りくどく説明するのと、どっちがお好みかな?」
「手短に。」
「そうか、じゃあ、手短に。」

軍服を着た男は急に真面目な表情になると、こう言った。

「アリスティア博士、我々に協力してほしい。」

手短にも程がある。
ふざけているのだろうかとも思ったが、男の態度には先程までのふざけた態度は無い。

「断る・・・と、言ったら?」

暫しの間の後、トーマスは真顔のまま、ボリスに話しかけた。
実に、ふざけた口調で。

「うーん、どうしようかなあ。レディーの意見は尊重すべきだけど、それだとやっぱり、困っちゃうよなあ。」
「困っちゃう、ではありません。暢気に言わないで下さい。」
「でもまあ、お嬢さん。君は多分、我々の誘いを断りはしないんだろう?」
「その根拠は?」
「君には俺達の目的がわかっているんだろうし、その上で、我々と接触するというリスクを負ってまでも、提供して
ほしい情報と、実行したい事がある。・・・違うかい?」

「・・・さあ、どうかしらね。」

尚も煮え切らない態度の博士に、やれやれ、といった態度で、実に面倒くさそうにトーマスが質問を投げかけた。

「じゃあ、核心を突かせてもらおう。・・・『イーヴァ』という言葉に、聞き覚えがあるかい?」

その直後、博士の表情は明らかに曇って、険しいものへと変わった。
ある程度予測はついていたという覚悟の表情。予想が外れてほしかったという失望の表情。
表情を必死に押し隠そうとしているけれど、抑えきれていない。

「・・・どこで、それを。」
「なあに、我々にも独自の情報網があってね。」
「・・・あなたは『イーヴァ』について、どこまで知っているの。」
「詳しい事は俺も完全には把握できていないし、きっと詳しいことを聞いたってよく分からないんだろうが、君は、知
っているんだろう? 多分、全てを。」

博士は俯き、「何故」と小さく、すぐ隣にいる僕でも聞き取るのが困難なくらいの、本当に小さな声で呟いた。
その声は焦っているようにも聞こえたし、何故か、泣きそうな声にも聞こえた。
イーヴァ、という何かに対してのデータは、僕の中には無い。
出来れば詳細を博士に尋ねたいが、只の兵器に徹している現状では、それは不可能だ。
けれど、博士の表情を曇らせるもの、である以上、僕にとって好ましくないもの、であり、敵、に相当する。
排除するのが妥当だ。

博士は顔を上げ、二人を見据えた。

「・・・しょうがないわね。条件付きで、協力してあげるわ。」
「条件?」
「あなたたちが信用ならない、もしくは、役に立たないと判断したら、すぐに見限らせてもらう。それと、正当な対価、
報酬の支払い。そして、私の・・・所有する兵器への指揮権は、誰にも委譲しない。・・・大まかには、そんなとこ
ね。」

「・・・君は、自分が条件を出せる立場にいるとでも思っているのですか?」

若干呆れたような、若干高圧的な口調で、ボリスが博士に問いかけた。

「それはどういう意味かしら?」
「そのままの意味ですよ。我々は君の手の内をそれなりに把握している。我々がここに来たのが偶然ではない事ぐ
らいわかる筈だ。君の行動は我々の仲間が独自に把握していましてね。その情報が軍に流れれば、面倒でしょ
う?」
「あら、脅しのつもり? 」
「・・・それに、このまま当ても無く反逆者として放浪し続けていても、いつかは限界が来るでしょう。・・・我々に協力
していただけるなら、最低限、今後の生活の保障くらいはして差し上げますよ。」
「脅しの次は身の振り方の心配? 忙しいのね。」
「ふざけないで下さい。」
「ふざけてなんか、いないわよ。」

博士はカップを傾けて一気にハーブティーを飲み干し、ハーブの成分を含んだ息を吐いた。

「私は別にこのまま放浪の旅を続けたって構わない。只単にあなたたちがしようとしていることに協力しろっていう
なら断ってる。勝手にやってればいいわ。・・・けど、そこにイーヴァが関わってくるなら、話は別ってだけ。・・・それと
も、あなたたちは、信用ならなくて、報酬も払わない、私の所持している兵器だけが目当ての輩だって事かしら?」
「そんなつもりは無いさ。報酬はもちろん払うよ。俺としては、協力してくれるならなんでもいいんだし。」

しかしそれでは、と、尚も食い下がるボリスをトーマスが宥め、その場を収めた。

「大体、あなたたちだけじゃどうにもならないから、私のところに来たんじゃないの?」
「ああ。どうもそうらしいからね。」
「・・・らしい?」
「君の協力を得ようと提案したのは俺じゃなくて、そういう技術に詳しい仲間でね。詳細はあっちに着いてから彼に
聞くといい。」
「・・・一体、何者なの? 」
「ふむ、君も名前くらいは知ってるんじゃないかな。・・・まあ、会えば分かるさ。彼も君と同じくらいには、有名だから
ね。」

男はお茶受けに出したビスケットをばりぼりと食べ、ハーブティーで一気に喉に流し込んだ。
とことん、不用心な男だ。

「さて、おしゃべりはここら辺にして、と。知っているだろうけど俺たちの車はこの坂道の下に停めてある。後で、そこ
で落ち合おう。」

そう言って二人の男は席を立つと別荘地の坂道を元来た方へと戻って行った。
様々な思惑が入り混じった奇妙なティータイムは終わり、後には、僕と、博士と、妙に重たい静寂が残された。
博士はちらりと僕を振り返り、声をかけたそうにしたが、視線を前に戻した。


「・・・遠隔センサーを回収したら、行きましょうか。」

遠くを見ながら、まるで独り言のように博士は言う。
それが、まだ僕を見てくれていなかった頃の博士のようで、そんな事は無いと分かっていても、少し、寂しかった。










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